訃報を受けて弔問する時の服装
近い親戚・故人や遺族と親しい関係の場合、できるだけ早くお悔やみに駆けつけるのがエチケットとされています。この場合の服装は平服のままで構いません。外出先や勤務先などで訃報を受けた時、礼服に着替えるよりも平服のままの方が、「とりあえず駆け付けた」という感じが出てかえって良いそうです。(派手な服装はNG・装飾品は外す)
通夜で弔問する時の服装
遺族や近い親戚は、なるべく喪服が良いとされています。一般の方は、平服でも構いませんが、なるべく地味な色柄のものを用い、男性は「ネクタイ・靴・靴下」は黒、ワイシャツは白です。
女性は地味な無地の洋服・黒の靴が望ましいです。装飾品も「結婚指輪」以外は「真珠のアクセサリー」だけ例外として、認められています。
葬儀・告別式に参列する時の服装
男性の正式な洋装喪服は「モーニングコート」ですが、黒の背広(礼服)が一般的です。
他に「濃紺・ダークグレー」など、黒に近い背広に喪章を左腕に巻いて、参列しても構いません。女性の和装喪服では、黒羽二重または縮緬(ちりめん)の紋付に黒の丸帯を用いています。長襦袢は白、帯あげ・帯びしめは黒。足袋は白で草履は黒です。「夏」は、黒の絽の紋付に絽の黒丸帯、長襦袢は絽か麻の白を用います。
* 近年、和装喪服で参列する方は遺族でも、ほとんど見受けられません。
女性の洋装喪服では、格式高い儀式や冠婚葬祭に出席する正装は黒の「アフタヌーン・ドレス」とされていますが、ほとんどの方は「ワンピース」「スーツ」の黒で、一般的に「フォーマル」と言われているものを着用します。
男性と違い、ブラウスを用いる場合は、白ではなく黒となります。ストッキングは薄い黒で、香水は香りの強いものは避ける。ネイルをしているのであれば、「落とす」か「黒い手袋」で隠します。決まりが多いのも、礼儀作法を重んじる国民性ならではです。
喪服の歴史
「日本書紀」「万葉集」には、白無地の喪服とあります。白は潔白・清浄を意味していて、穢れを取り除く色だと考えられていました。仏教の定着と共に、弔いの日の悲しみには、地味で沈んだ色の方が似つかわしいと考えられ、奈良時代には中国の唐の、「喪に皇帝は錫衰(しゃくさい)を着る」にならって、天皇が「錫紵」(しゃくじょ)を着用したのをきっかけに、浅黒色の喪服が広まりましたが、唐の皇帝の喪服は「白の麻布」で、金属の錫(すず)の薄墨色と勘違いしたらしいです。平安時代になると鈍色を着る様になり、これがだんだん黒一色になったと言われています。室町時代の喪服は「白」が復活したり、明治になって「黒」になったりと、白と黒を繰り返した歴史もあります。
令和の時代、儀礼文化も色々なスタイルに変化し、「生前葬」「お別れ会」など、白や黒に限らず、平服で気軽に参列する様になるのかも知れません。